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ノンカイ→ビエンチャン→ノンカイ

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ムクダハンからウドンタニまで4時間、そこからノンカイまで1時間ちょっとかかる。ノンカイ到着は4時近かった。こっちで泊まることにする。
前回ここに来たのはたぶん2007年か2008年。その時はまるっきりいい思い出がない。泊まった宿が最悪だった。今回はどうか。最初に目星を付けておいた所に行ったら満室だったので、トゥクトゥクに連れられて別の所に。白人のオーナーがやっている小洒落た宿だった。ちっとばかり嫌な予感がした。
案の定、どう考えてもその宿で最悪の部屋に案内されたことが後にわかる。最初はわからなかったんだけど・・・。窓から見えるのが庭だと思ってたら外の道だった、外の道からそのまま部屋に入ってこれる(もちろんドアがあって鍵はかかってるけど)。ベッドから1メートル向こうに人がいても別におかしくはない、だって道だから。うーん、これってどうなのか。
やっぱりナメられたんだよね・・・。タイでは、そこがアジアであるにも関わらず、アジア人であることによる差別を感じることがよくある。しっかりした人ならないかもしれないけど、ぼんやりの私はよくある。今回もそうだったと思う。宿のレストランでは何も食べないことにした(笑)。ノンカイは賑やかな屋台街があるので食べるには困らない。

翌朝、ノンカイのバス駅に行って(宿からは戻る位置関係)国際バスでビエンチャンに入ることも考えたけれど、それより自分で国境越えたほうが早いんじゃないかと思ってトゥクトゥクで国境に。

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ノンカイ・つまりタイ側の国境ゲート
三々五々、国境を越えていく人がいる。出国手続きをしたら、橋を渡るバスに乗ればラオスに連れて行ってくれる。ラオス側では入国手続をして、ふっかけてくるトゥクトゥク・ドライバーを無視して探し回れば、ビエンチャン市内に行くバスが見つかる(はず)。ビエンチャンまでは1時間前後だったと思う。バスはタラート・サオの近くに止まるので、そこからはトゥクに乗るか、荷物が少なければ歩いてでもゲストハウス街まで行ける。

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かつてフランスに支配されていた国なので、フランスパンのバゲットは今も普通に町中にある。しかしラオスも変わったな、以前ならガラスのコップにたっぷりの練乳と一緒に出されたネルドリップコーヒーが、今じゃただのネスカフェに・・・(>_<)

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ラオスにもカプセルホテル。びっくりした
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タラート・サオ。かつてモーニングマーケットと呼ばれていた味わいのある市場が、ビルになっている。ビル自体は建ってだいぶ経つけど、見る度にやれやれと思ってしまうな。

ビエンチャンには1泊しただけだった。泊まった宿では、夜になってシャワーを浴びようとしたら水しか出なかった。フロントに言ってもなかなか対処しようとしない。3回言いに行ってようやく、別の部屋に換えてくれた。前回ビエンチャンに泊まった時もろくなもんじゃなかったし、どうもこの、ノンカイ~ビエンチャンルートは私にとってツキのない場所らしい。

2日目も市場に行ったりうろうろして、昼にチェックアウトし、国際バスでノンカイに戻る。ここのタイ側のイミグレはいつもそうだけど異常に混んでいて大嫌いだ。
ノンカイのバス駅に着いて、チェンマイ行きのバスのりばに行き、荷物を預かってもらう。一昨日にチケットは買ってあるので安心。出発まで4時間ほどあったので、ノンカイの散策に出かける。

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大きな金色の仏像がメコンを見ている寺院

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メコン沿いの大きな広場には巨大な龍が・・・

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対の龍。ぜんぜんピンと来ないんだけど、伝説とかあるのかな

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鴨の麺屋

初めてノンカイに来たのはたぶん1990年台前半だったと思う。その時はまだ国境は開いていなかったと記憶しているのだけど、その時に鴨麺を食べた店がその後もずっと営業を続けている。一人で来てもここには顔を出していたが、別に顔見知りというわけではない。

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今回、スマホの自動翻訳という強力なツールを持っていたので、
「20年以上前から何度か来ています」と、言ってみたら、店主が大喜びして、写真撮ってもらった。店主は82歳、ここで店を開いて40年になるそうだ。娘夫婦に代を譲っても、店主は店の入口にどっかりと座ってなかなかの貫禄。タイではよくそういう風景を見る。
写真見たら相当ヨレてますね・・・お疲れさんです。

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メコンの上流方向に日が沈む

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ノンカイのバス駅
少し前まで、ここからチェンマイにバスで行こうとすると、一度ウドンタニに出て、そこから深夜バスだったのだが、今はノンカイから直通バスが出るようになり便利になった。

ノンカイ発夜の7時。チェンマイ着は・・・、8時頃だったかな? 12時間ちょっとかかった。バスのエアコンがアホみたいに効いていて、フリース着て毛布かけていたけど風邪引いた。いい加減に「適度な空調」について真剣に考えてほしいと切に願う。

ここまでで。
タイ→ラオス→タイ→ラオス→タイ。
という節操のない動き。日本人がどちらの国もビザ不要なので、このようなことが可能になっている。渡れぬラオス、遠いビエンチャンをノンカイから眺めたのがほんの少し前のように思うが、よく考えてみればもう四半世紀も前の話。たしかラオスに入れるようになったのは1996年あたりだと思うので、そこからちょうど20年。ラオスもタイも本当に大きく変わった。これからもどんどん変わっていくのだろうな・・・。

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チェンマイ旧市街のカフェで
普段はカフェなんて場所にはこっ恥ずかしくて行かないのだけど、高校時代の恩師に「今チェンマイにいます~」とメールを送ったら、「カレン族のコーヒー買ってきて」と頼まれ、検索したらどうやらここにありそうだったので。
チェンマイでも自転車を借りてうろうろ。バイクは・・・、国際免許持っていないし、作ったとしても私は中型バイクの免許は持っていないので、検問に引っかかるとアウト。そんなわけで自転車。
このカフェに行った日に既に風邪の症状が出始めており、翌日バンコクに着いたらもうフラッフラで、宿にたどり着いたらそのままエアコンも付けずに「寒い寒い」と寝て、ちょっとすると「暑い暑い」、でまた「寒い寒い」。どこにも行けずに終わったバンコクだった。

そんなこんなの旅でした。今回の旅で買ってきた布たちのお披露目はもうちょっと先になる予定。
ご笑覧感謝。

 

 

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ムクダハン

投稿日:

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします♡

さて、11月の旅の続きです。スマホで撮影した写真をやっと今取り込めたので、前後する部分もあるけど主にムクダハンの様子。

3600-p_20161121_131506  パクセの相棒、あさま号
日本製? のわけはないと思いますが・・・。とにかくあさま号でした。

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サバナケットからムクダハンへ渡る橋の上から、メコン上流。走るバスから撮ったにしてはけっこう写ってる。

3600-p_20161122_185004 焼きおにぎり
最近の流行らしい焼きおにぎり。普通にごはんを固めて、たまごを溶いたのを塗って、焼いてくれます。1つ10バーツ(33円くらい)

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紅い河、の雰囲気かな。ムクダハンで下流方向。対岸はサバナケット。

3600-p_20161123_085204 ボート乗り場
かつてのイミグレだと思われます。橋ができる前はここからボートで対岸を行き来しており、ここで出入国検査が行われたのではないかと。その時代には来たことがない、いやあるかな、あったとしてもラオスには渡れる時代ではなかったと思います。

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お寺さん。由緒ありそうな大きな黄金仏が中に鎮座していましたので、旅の無事を祈りました。

3600-p_20161123_094731 バス駅
ムクダハンのバス駅。朝9時頃かな、そんなに混んでないですね。

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バス駅に行くとすぐに人が寄ってきて、「どこ行くの?」と訊かれます。答えると、適当なバスの乗り場に連れて行ってくれる、便利なシステム。だと思うけど、最近はそうでもないのかなと思えてきた。これはミニバン(タイではロットゥー)です。今は近距離に行くと告げるとほぼこれに案内される。私は大型バスが好きなのだけど・・・。今回は先を急いでいたのでロットゥー使いました。これでウドンターニまで。

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旅の間食べていたのはこんなものとか。これは豚肉入り野菜炒めのごはん付き。今はこれで5~60バーツします。

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クイティオ、だけどムクダハンあたりでもベトナム風なのか、どっちかというとフォーに近い。生野菜やライムがついてくるのもベトナム風(ラオス風)。タイでは普通はこれはつかないです。

次回はウドンからノンカーイを経てラオスのビエンチャンへ。

 

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パクセの町とサバナケットへの道

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パクセはラオス南部の最大の街、タイ、カンボジアとの国境も近く、またベトナムへも国境が開かれており、インドシナの要衝の一つかと思います。街はさほど大きくはありませんが、特に今は中国資本も入ってきているようでかなり賑やかでした。さらに南に欧米人が好きそうな景勝地もあるため、彼らの姿も多く見かけました。

3600-_1060520 メコンにかかる橋
因みにこの橋の対岸もラオスです。ここではメコン川はタイとの国境を流れてはいないのですね。
自転車借りて走り回ったけど、暑かった・・・・・・。

3600-_1060522 タラート
パクセ最大の市場。バイクは駐輪代がいるようだったので私もそうかなと警察官みたいな人に訊いたら、自転車は無料だそうでした。

3600-_1060523 魚とか

3600-_1060524 野菜とか

3600-_1060525 たぶんタバコ

などは大量に売られており、賑わっているのですが、布を売る店はごくわずかで、閑散としていました。よい布も見当たらなかった。あ、私にとってよい布、という意味ですが。
すべて見たわけではないけれども、ビーズ織りは見かけなかったな。

パクセからはラオス中部のサバナケットへバスで向かいます。
ラオスは町から遠くはなれた所にわざわざバス駅が作られていることが多く、長距離バスの料金と、町中からそこまで行く料金がさして変わらないとかむしろ高いとか、そういうことがよくあります。政策的なことだと思うんですよね・・・。ソンテウ(タクシーみたいなの)の仕事の確保とか、結局そういう風に動くのは外国人だけなのでそこからはぼったくろうとか、そういうことなんじゃないかと・・・・・・。
で、結局、ゲストハウスなどでバス駅への移動費込みのチケットを買うのが最も安くて便利ということになっている。私はどうもこれが苦手で、なんか自分の旅を他人にコントロールされるようで嫌なんですよね。でもまぁしょうがないので今回は、宿で手配してもらいました。

連れて行かれた先はガソリンスタンド。ここで待っていたバスに乗り換えるわけです。

3600-_1060526 ガラス割れとる

オンボロの韓国製バスでした。

3600-_1060528 しかも壊れとる!

給油しているのかと思ってたんだけど、やけに長いし、どうしたんだろうと下りて見に行ったら修理してる・・・。それがいつまで経っても終わる気配がない・・・。
最初乗っていた欧米人3人は、誰にも何も告げずにボディから荷物取ってどっか行ってしまいました。たぶんバス駅に行って別のバスを探したんだと思います。私は・・・・・・、なんかめんどくさいしー、お金払っちゃってるしー、ラオス人はみんな待ってるしー。で、待つことにしました。
そしたら、欧米人たちが立ち去ってからほんの3分後、エンジンがかかるじゃないですか。大喜びのラオス人たち+私、を満載してバスは無事に発車しました。
まーでもこれでバス駅に寄るだろうから、あの欧米人たちは笑いながらこのバスに乗ってくるんだろうと思ったんですが、バスはそのままどこにも寄らずに町を出てしまった。因みにパクセにはバス駅がいくつもあるので、このバスは町の南バス駅から来たわけで、北バス駅に寄るのだと思ったんだけど。

3600-_1060530 途中でお買い物

2時間半くらい遅れたので、皆さんお腹が空いたとみえてお買い物タイム。私は今回こういうのはパスしました。スケジュールがタイトな時は最大限に注意して動きます。

3600-_1060532 まっすぐな道

バイクは多いですがまだ車は少ないな、ラオスの幹線道路。バスも4席ずつのごく普通の観光バス(ただしボロボロ)で、特に人や荷物が満載になるということもなく、無事に走り続けました。
サバナケットまであと30キロくらいの地点で、なぜか私だけ下ろされて、別のバスに乗り換えさせられたのがよくわかりませんでしたが、きっと私が乗っていたバスはサバナケットのバス駅には行かずにそのままもっと先まで行くやつだったのかな?

朝の8時にパクセのゲストハウスを出て、2時には遅くともサバナケットに着くはずでしたが、結局着いたら5時近くになっており、予定が狂いました。サバナケットに1泊してもいいかと思っていたけど、何だかいったんタイに戻りたくなったので、そのまま最終の国際バスに乗って対岸のムクダハンに渡っちゃいました。

3600-_1060534 国際バス

対岸のムクダハンまではイミグレ込みで1時間弱。半分くらいしか乗っていなかったし、全員タイ人かラオス人だったので、イミグレ通過もとても早かったです。タイ側のイミグレの係官は私と同じくらいの年格好の女性でしたが、
「どこに行きますか?」
「ムクダハンです」
「あら、ムクダハンで泊まるの? どこに泊まりますか?」
「えーっと、クオファホテルです」
「あー、いいホテルよ、タイにお帰りなさい」
とニッコリ言ってくれました。暇なので余裕があるのはそうなんだけど、こういう人に当たるとほんとほっとするし、目の前が明るくなる気がする。

ムクダハンで泊まるのを驚かれたのでこっちも驚いたんだけど、国境バスが着いたバス駅では、殆どの乗客がバンコク行きの客引きに連れられて構内に入って行ったので、なるほどそういうことかと。ムクダハンで泊まるのはけっこう珍しいんだなとわかりました。
ホテルは安宿なんだけどスタッフがとても気持ち良い人たちで、部屋も清潔、言うことなし。ナイトマーケットもあって買い歩きも楽しく、今回の旅でいちばん気に入った街になりました。ムクダハンに泊まったのはこれが初めてだったけど、また夫と一緒の時に訪れたい街になりました。

ビーズ織りの村へ

投稿日:

ラオスはまだまだ公共交通網の発達が遅れており、下手するとえらいことになる。というのは体験上知っていましたが、パクセから片道6~70キロある織りの村までバイクで行くってのにも勇気が要りました。学生時代に原チャリに乗っていたのが最初で最後なので、かれこれ30年近くバイクには乗っていない。もちろんラオスで近距離を乗ったことならあるんだけど・・・、でも片道6~70キロというのはかなりな冒険。事故ったら、バイクが故障したら・・・。
迷いに迷った末に、バスに賭けることにしました。
ゲストハウスでちょっと訊いてみたらツアーもあるからそれに参加するのが一番いいって言われたんだけど、それだと興味ない滝に何箇所も連れて行かれたあげく、織りの村の滞在時間は15分・・・。滝はほんとどうでもいいのでやめました。

3600-_1060489 行きはよいよい

行きはバス駅に行って普通にバスに乗り、運転手にも助手にも隣のお姉ちゃんにも「フェイタイフン村に行く!」と宣言したので、ちゃんと下ろしてくれました。忘れてたけどこの隣のお姉ちゃん、箸が転がってもおかしい年代なのかとにかくよく笑ってて、しまいに私の肩に頭乗っけて寝てた、なんか勘違いされたのかしら・・・(笑)

3600-_1060492 村のギャラリー

ここに村人たちが自分の作品を展示していて、誰かが来るとあっちこっちの家から人がここに押し寄せてきます。私が行く前に欧米人ツーリストが数人バイクで来ていました。彼らが去ると私だけになり、全員と交渉するのが大変でした。言葉通じないけど数字は万国共通です。欲しかったものが手に入って大満足でした。

3600-_1060498 作業中

カトゥ族というベトナム系の少数民族です。
見てわかるとおり、カトゥ族の織物には、織機が存在しない。端っこを押さえるのは自分の両足。もう片方を押さえるのは自分の腰です。足と腰で張力を出して手元で織っていく。腰機を使う織りは他の民族でもやっており見たことがあるけど、その場合も柱などを支点にしていたと思うので、この完全に自分の体だけで織るのは珍しいのではないかと思います。

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ダンナさんも糸巻きでお手伝い。歯が痛いと言ってた。

3600-_1060502 叩き込み中かな
横糸に通したビーズを縦糸と交差させながら指定の位置に置いていくという、私のようないい加減な人間には出来そうもない難しげな織りでした。1本(そんなに長くはないんだけど)織るのにどれくらいかかるんだろうか、正味の話で。

この後、このお家でご飯をごちそうになっている時に、バスが1台通過していきました。後から思えばこのバスこそが私の命綱だったのです。

村に着いたのは10時頃だったかな、それからいろいろしていて、バスを待ち始めたのは11時50分でした。村人曰く、12時、1時、2時、3時、4時、バスはたくさんある、とのこと。
しかし、待てど暮せばバスは来ません。2時もとうに過ぎ、そろそろやばいかもと思い始めた私の視界に、空を覆ってこちらに近づいてくる黒雲が。スコールです。土砂降りになりました。近くの物置みたいなところの屋根下に避難。でもバスが来るかもしれないので時々道路まで見に行く。の繰り返し。
と、3時15分頃に、待ちに待ったバスがやってきました。雨の中、私は全力で手を振り、バスもウインカーを出して減速し始めました。
やれやれ助かった・・・・・・。

ところがバスは、なぜか急にウインカーを引っ込めてスピードを上げたと思うと、私の前を無情にも通過していってしまったのでした。
いったい何が悪かったのか・・・。変なおばちゃんが荷物たくさん(と言ってもそんなじゃないしな)持っているのが悪かったのかな?
わかりません。考えても無駄です。旅をしていればこういう目にも遭う、ただそれだけのこと。

しかしそこからがまた・・・・・・。
4時を過ぎ、日がだんだん傾いてきました。
まずいです。でも村には1軒だけ、泊まれる家があるのは情報として持っていましたので、最悪ここに行こうと決めました。6時半まで待ってダメだったらもう泊まろうと。

日はどんどん傾き、人々は足早に家へと帰っていきます。みんな私が何時間もそこにいるのは知っているけど、どうにもならんですもんね。
そしてもうどの車もヘッドライトを灯し始めた5時20分、遠くにバスらしきものが見えました。再び全力で手を振っていると、今度は止まってくれました。
「どこまで?」
「パクセまで!」
「乗りな」
プシューッとエアーの音を響かせながらドアが開きました。
神様ですよ。もうこの運転手っていうか助手、神様です。
乗ったバスは、なんと、寝台バスでした。乗った所で袋を渡されたので、ちょうどスコールに遭ってサンダルがドロドロだったのですぐに脱ぎ、裸足で案内されるまま最後方に。そこの上段のベッドが私の席。右隣オッサン、左隣セーネン。いいんでしょうか・・・・・・。とにかく潜り込み、荷物を置き、ほっとして外を見るともう真っ暗になっていました。

バイクで来ればよかったと、100万回くらい後悔した。もう行くことはないかと思うけど、もしまた行くとしたら絶対にバイクで行きます。
5時間半、村の中の一本道の道端で、一人ぼっちの刑。久しぶりにかなり堪える半日でした。

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スコールが近づいてきた一本道。辛かった・・・・・・。
帰れてよかった・・・・・・。

織りの村へ行く、織りを見る、布を買う、それがメインだったのに、来ないバスを待つ5時間半が記憶の中心に居座る、そんな村日帰りの1日でした。

 

 

チョンメック~ワンタオ国境を超えてラオスへ

投稿日:

今回通った最初の国境は、タイとラオスを結ぶ最南部にある場所でした。タイの首都バンコクからは、飛行機でウボンラチャタニへ。列車でもバスでも行けます。
ウボンからは、国際バスが1日2本出ているので、時間が合えばこれで行くのが楽です。
私は2本めの国際バスまで2時間半近く時間があったので、バスを乗り継いでいくことにしました。

3600-_1060475 ウボンバス駅で
右端に写っているワゴン(タイではロットゥーと呼びます)で、国境の町まで100バーツ。ロットゥーはたぶん30分置きだと思います。満車にならなくても発車。

3600-_1060476 国境から振り返る
チョンメックのバス駅に着くと、バイタクが客引きに来るので乗ります。交渉は特にせず20バーツで行ってもらいました。
国境手前からタイ側を振り返るとこんな感じです。
タイ側でまずは出国。そこからなぜか地下通路のようなところを通って行き、地上に出ると、そこに国境が。

3600-_1060478 国境~
この人々が腰掛けている柵が国境線なんだって。ポーズを取ってくれるラオスの方々です。
これをまたいで向こう側に行くとラオスのイミグレがあり、そこで入国手続きをして、完了。日本人はビザフリーなので、こういう時にたいへん助かるというか、ほんと無料で入れてくれてありがとうございます。

3600-p1060482 ラオス側
イミグレの付近にも物売りの屋台などが出ていて、のどかな雰囲気でした。果物とか野菜が多かったような。誰が買うんだろうね、タイ人?

3600-_1060485 バス待ち場

ここまでちょっと歩く。そこにはロットゥーがいるけど、こちら側は時刻表はなく、客が満員にならないと、というか、満員以上に客が乗らないと出発しません。2時間は軽く待ったと思うので、国際バスに追いつかれそうだった(追いつかれたかも・・・)。

国境からパクセまでは1時間ちょっとかかりました。到着したのは橋を渡った大きな市場の近くでした。すぐにトゥクトゥクが来たので値段交渉してホテルまで。

パクセ到着が夕方になる予定だったので、あらかじめagodaで1泊だけ予約して行きました。しかし到着したホテルでは、部屋がない事件勃発。いきなりやられました。
「この部屋があなたの部屋なんだけど、いま人がいます。で、こっちの部屋ならあるんですが、15万キップです。あなたはあなたの部屋との差額5万キップを払う必要があります」
要約するとこんなようなことをホテルの人が言っていて(ここまで軽く10分はかかっている)、私は私で
「はぁ? 何で私が5万キップ払わなきゃならないのか理解できません。私はそんな金額を払いません。私は私が予約した部屋に泊まりたい、ただそれだけです、どこか間違ってますか?????(怒)」
と下手な英語で言い募るわけで、すったもんだ30分。ようやく別の人が出てきて、
「じゃ、こっちの部屋でいいです、値段も一緒でいいです」
と。当たり前じゃないですか! 恩着せがましく言わないでほしいです。

結局このホテル、翌朝チェックアウトしようとすると再び差額の5万キップと言い始め、うんざり。もちろん払いませんが、「わかりました」と言わせるまでにこれまた15分はたっぷりかかり、本当に疲れた。
ランカムホテルと言ったかな。一応老舗っぽかったですけど、微妙なホテルでした。

翌日はいよいよ織りの村へ行きます。ではまた~

 

 

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非公式ブログ復活のお知らせ

投稿日:

しばらく休眠中だった非公式ブログを復活させましたのでお知らせします。

軽井沢森暮らし日記

上記で懲りずに継続します。
またよろしくお願いします。

非公式の方は、布服屋に関わりのない読書記録やコンサート鑑賞記録や、そういう日々の雑事がだらだらと書かれていくブログです。

帰国しました

投稿日:

こんにちは、お久しぶりです。30日の夜に無事帰国しました。

旅行中に更新しようと思ったのですが、何と、自分のブログに入れないというまさかの事態に・・・。いつの間にパスワードを変更したのか記憶になく、結局そのまま帰国となってしまいました。

今回は。
バンコクから東北部のウボンに飛び、タイ~ラオス間の陸上の国境を越えてパクセに。サラワン県のとある村を往復し(ここでまさかの帰るバスがない5時間半村の一本道で一人ぼっちの刑)、サバナケットへメコンを遡り、この時のバスもぶっ壊れて3時間も時間ロスしたので懲りていったんタイへ戻り。タイ側をさらにメコンを遡ってノンカイまで行き、またまた国境を越えてビエンチャンへ。そしてまたタイへ戻り、チェンマイへ。最後はバンコク経由で帰国。
という旅でした。とにかく移動に次ぐ移動で疲れたのと気が抜けなかったのとで、ビールすら飲まずにひたすら動いていた感じ。チェンマイに行くバスは夜行で12時間半ほどかかり、タイバス特有のチルドバスでした。こっちはフリース着て凌ごうとしたのですが、防ぎきれずにやっぱり風邪を引きました。最後の最後にバンコクに移動する日がいちばん酷く、到着後はホテルにこもって、徒歩3分のコンビニに行くのがやっとというていたらくで。お土産も買えなくてなんだかな~という気分で帰国しました。

結局、パブロンゴールドが最強、という。
何を検証しに行ったのかと。

南ラオスでは布の収穫があり、何はともあれそれが最大のよいことでした。
チェンマイでもそこそこ生地を探すことができました。やはり時期によって、店にも商品がある時期、ない時期があるので、こればっかりは運不運というものですね。ビエンチャンは思ったほどではなかったけど、うーん、まぁゼロではなかったからいいか、という感じです。

しかしタイの物価上昇は依然衰えを見せません。ホテルも食事もそしてもちろん生地も。加えて今回、出発する直前にトランプ・ショックによって急激に円安になったため、ダブルパンチでした。行っている間にもどんどん円安が進んでいるとみえて、レートが日に日に悪くなっていく。
あ゛~、とか、う゛~、とか言いながら換金してました。

と、そんな感じの旅でした。また写真なんかも整理したらもうちょっと詳しく書こうかと思います。ではまた~

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さて出かけます

投稿日:

めっきり寒くなってきました。軽井沢ももう、最低気温は氷点下がデフォルトになりつつあります。日も短くなり、長い冬が始まってしまったなという感じ。でもまだ冬というよりは晩秋なのかな?

明日は久しぶりに上京して、観劇(合ってるのか・・・?)してきます。今年も色々なことがありました。よいことも悪いことも様々に。一体何をしているのか自分でもわからなくなるような忙しさもあり。今はその忙しさも一段落して、悪かったことの残渣みたいなものに悩まされている、そんな感じです。
そんな私のしょうもない一年の終盤に、このイベントがあることに救われる気持ちです。元気に出かけて、ちゃんと観て来たいな(たまに観えない席に当たることもあるんですよね・笑)

3600-dscn0263 ふ~~~ん
ウメさんは、先日の脱走事件以後ちょっとがくっと体力が落ちましたが、このところ少し盛り返してきたように思えます。ほとんど寝てばかり、立ち上がれないことも増えてきましたが、ごはんはよく食べて元気です。まだしばらくはここに居たいみたいです。

さて私は、そのまま、タイとラオスに行ってきます。
今回は、ほぼお初と言っていい南ラオスに。タイ、カンボジアに国境を接する辺りです。一度だけ飛行機で降りたことがあるけれど、町に入ったことはありません。数日を南ラオスで過ごそうと思っています。
あとは北上して中部のサワンと首都ビエンチャン、タイはいつものチェンマイとバンコク。あと1週間余裕があればラオスを南から北まで縦断できそうでしたが、今そこまでやってどうする・・・・・・、と思うのでやめました。

私が出発するってぇ時期によりにもよって円安の波が・・・orz

旅の間も可能だったらここを更新する、かもしれません。パソコンは持っていきませんがタブレットは持って行くので。
ではでは。

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小浅間山に登りました

投稿日:

軽井沢町民歴17年にして、初めて小浅間に登りました。

10年ほど前にヒマラヤのゴーキョ・ピークでお会いした方と、そのご友人と、3人で。お二人とも健脚です。私は鈍りまくった足にあっという間に乳酸が溜まり、きつかった。たぶんお散歩山だと思うのに、ほんとにきつかったです。運動不足を反省しました。

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頂上直下鞍部からの小浅間山。ゴーキョかと思った・・・
あ、いや、小浅間はこの右かな? 心臓バクバクでちょっと意識がぼんやりしてましたので^^;

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小浅間山頂からの浅間山、快晴でよかった!

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逆光&しょぼカメラなので写ってないけど、肉眼では幾重にも連なる山並みがすばらしかったです。これは南方向。

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午後にお仕事が入っているとのことで先に下山するお友達と峰の茶屋で別れ、2人で白糸の滝まで下ると観光客もたくさん、多国籍軍でした。
頂上ではもう紅葉は終わりでしたが、下るにつれてどんどん綺麗になっていって、今日行けてよかったです。

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さらに小瀬まで下ったところの山道になぜか自転車が2台寝ていて、こんなところに自転車を置いて山を登る人がいるんですね、とか言ってたら、同行者が早朝にデポしといてくれた自転車で、星野温泉下の駐車場までまさかのMTB林道(もちろんダート)走り。自転車自体軽く15年は乗っていなかったので最初は怖かったですが、だんだん慣れて楽しかったです。

下山後はわが家に送っていただき、ついでに寄っていただいて、ヒマラヤ話に花を咲かせました。友人は歩きも信じられないくらい健脚なのだけど、ヒマラヤをMTBで突っ走ったりする人なので、楽しい話をたくさん聞かせてもらいました。
私自身はもうネパールのヒマラヤに行くことはないような気もしているけど、いやでも多分、またいつか行ってしまうんだろうなと、三つ子の魂ってやつで。ただ今のところ、興味としてはインド・ヒマラヤの方ですね~。行ってみたいところがまだ2つ3つはあります。

ちょっと運動しなきゃ。ではまた

草木染め

どんぐり染め

投稿日:

寒くなってきました。もう葉をとって染めるものはシーズン終了です。この秋は長雨の影響をモロに受けてしまい、色々と後手後手に回った感があります。来年はもうちょっと天候に安定してほしいものです。

3600-dscn0224 どんぐり
金槌で叩いて割れ目を入れる作業です。やらなくてもいいと思いますがなんとなく気分的に。

3600-dscn0229 ぐらぐら
沸騰中。今日は3度煮出して染液を作りました。

3600-dscn0231 媒染
おや・・・・・・?
予想とは違う色が出ているな・・・・・・

グレーになる予定が、焦げ茶になったような。乾いてみないとはっきりとは言えませんが多分。おかしいな。

3600-dscn0232 エゴマ収穫
手前と真ん中あたり奥にあるのがエゴマ。その奥にはとうもろこしが枯れたまま立ってます、エゴマを寄りかからせていたので。
エゴマもなかなか花が咲かずに気をもみました。ようやく咲いたと思ったらもう霜げてしまい、仕方ないので収穫してしまいました。これから乾燥させて実を取り出す予定。

藍の花穂もすこし収穫して乾燥させています。来春はちゃんと選別した種を蒔いてみたいものです。
ではまた